平成乙女の像建立から無事2年経過胸をなで降ろす

2020-10-30

otome2仏生山町と香川町にまたがる『平池堤』に、2018年11月18日、計画から5年の月日を要して『平成乙女の像』が、『昭和乙女の像』を撤去した後、同じ台座に立ち上がりました。『平成乙女の像』は、作者・彫刻家・萬木淳一氏が希望されたブロンズ像で、黄金色に彫色されていて、秋の空に輝いています。

私が『記念日』を感違いして、1カ月早く今月18日に、池田義幸氏(池田花店)に花を手向けてもらいました。かみさんや、仲間の武藤忠数氏に指摘され気がつきました。その日は秋晴れの、良い除幕式でした。失敗を認めながら自分では遅れるより、早くなるのは良いかなと『自己満足』しています。改めて豪華な花を指していますが、日頃も近所の人が道端の花を手向けてくれています。

2年経過し、1年目の記念日もそうでしたが内心ほっとしています。ここ讃岐は、風水雪害が少なく住みやすいところであります。そうは言いながら、風の強い場所に立っています。何もなくてあたりまえですが、小学生の参観や、賽銭を頂くにつれて、嬉しく思います。借景には、高松徳川松平藩の菩提寺の法然寺さんが控えており、歴代藩主の墓所も改めて整理集約されています。

その墓所の西下に、『平成乙女の像』があります。乙女を祀る『滕神社(ちきり)』は全国的にも珍しい『西向き』の建屋です。滕神社は、法然寺の守り神として、一直線上で池の堤にありますから、そこから眼下に『高松市みんなの病院』や、更に遠くには香川県庁や、サンポートタワーなどを見ることが出来ます。玉藻城に天守が完成すると、もしかしたらここから見ることが出来るかも知れません。

改めて完成までの5年間を振り返ると、一番の味方は学友の『武藤忠数』。近くに在住されている『坂口純子』さんにも、大きな支援を頂きました。その他同窓生を中心に、大勢の支援を賜りました。庵治石彫工房・太田明彦氏や冨士マーク製作所・冨山貴司さんらに改めて、お礼申しあげる次第であります。

話は飛びますが、過日の秋季四国地区高校野球大会の応援の中に、昭和40年高松商卒業生軍団が応援に来ていました。この先輩の一人が、体調不良ではないかと後で気づき、一緒にいた先輩にその晩に電話をしてみました。「俺が一緒でなかったら、奥さんは応援外出を許さなかっただろう」と。視力に、障害が出ているようであります。

かみさんも最近、実家の近くの会場で開かれるプチ同級会へ良く出かけます。今まで息災で来られたことに感謝し、これからも許される限り『再会』することを約束しながら帰って来ます。平成乙女の像の後ろにある『記念碑』に改めて目を通すと、先の50年前を想像し加えてあの頃を思い出し、悲喜こもごも。何気ない日常ですが、花の水は交換しています。改めて、大勢の皆さまに感謝でございます。ありがとうございます。

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作詞:小比賀剛一
作詞:岡本正
唄:岡本由美子
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